働き方改革とは

巷では件の電通事件を背景として働き方改革の論議が盛り上がっています。もとより,「働く」とはどういうことなのかを自問自答してみれば,電通の事件などあってはならないことで,こうした事件が発生してしまったことを猛省した議論と,それを踏まえた働くことに対する自己認識がとても重要です。

私の年代は,働くことが優先で,たとえば若かりし頃,妻の出産日に仕事を休んだことをこっぴどく叱られたこともありました。こうした他人から縛られるような時間を無意識に過ごしていくと「働く」とは何なのかがだんだんわからなくなっていきます。もちろん,働くことによって人間的成長が期待できたり,好きな仕事を行うことによって自己実現が図られたりと,良いことはたくさんあります。しかし,働くことの意味を忘れてしまっては,まさに意味のない人生になってしまいます。

では,「働く」とはどのようなことなのでしょうか。よく「傍を楽にする」などと言われます。傍とは人であり,自らの仕事でそのほかの人が楽になる,これは一つの考え方として正しいでしょう。ただその根底にあるものは,自分の身の回りにいる人々,たとえば家族であったり,いわゆるコミュニティーを形成している人々が第一でなければならないと思います。自分自身と家族のために働く,こうしたことが認識できれば労働は決してつらいものではなく,楽しい営みとなるはずですし,特に休んで家族と一緒に過ごす時間を持つことが,一層自身の励みにもなるでしょう。

一方でつらい仕事とはどのようなことでしょうか。大概のサラリーマンは休日後,たとえば日曜の夜や月曜日の朝は憂鬱な気分になるのではないでしょうか。ストレスから解放された時間から,ストレスだらけの時間へ入り込まなければならない,そのことを思えば憂鬱になるのは当然です。会社の時間に管理され,職場に管理された中で自身の思うように仕事ができないのは,宮使いのつらいところではありますが,「つらい」環境といえると思います。まして,その環境が月に160時間を超え,プラス100時間ともなっていればなおさらです。当然体と心が蝕まれていきます。

こうした考え方を踏まえて昨今労働組合の連合が,高年収のサラリーマンに対して時間外手当を支払わなくてよい法制度導入を認めようとの論議があり,組織内部で強い反対にあい,役員人事とも絡まって,制度を導入しようという考えはどこかへ吹き飛んでしまいました。

たぶん反対派の急先鋒は旧総評系。私も数年前この案が出た当初は,働いた時間を賃金で補てんしないとは何事,と反対をしておりましたが,現在はこうした制度があってもよい,と考えています。つまり,こうした制度が導入される対象はいわゆるホワイトカラーであり,これは会社を代表する人です。自分の考えで仕事ができ,プロセスではなく結果が全ての人。つまり,多くのブルーカラーが感じる時間と職場のストレスのない人たちです。連合は労働者の団体ですから,基本的にはこうした経営に携わる人たちのことまで面倒を見なくてもいいはずなのですが,連合の中枢にいる人たちは,真の意味でのホワイトカラーとブルーカラーを混在させて議論しているのではないでしょうか。

もう一つ。今回の政府の提案に対し連合の賛成派は,年間104日の休日を約束させる議論を展開しました。これは画期的なことです。連合の幹部組合が属する会社は週休二日制が当たり前で,平場で週休1日制の労働者がいることを忘れています。こうした人たちが週休二日になれば,家族はどんなにか喜ぶでしょう。

架空の議論,つまり机上の空論によってホワイトカラーを助け(助けてもらいたいとは思っていないと思いますが),ブルーカラーを引き続き過酷な労働環境課に置く。そして,本当の意味で誰のために働くのかを議論しないまま,せっかくの働く側に立った制度を闇に葬ろうとしている。

連合は政府の法案が出てきたら賛成はできないでしょうが,心ある労働者諸氏におかれては,中小零細企業の週休二日を勝ち取るため,そして労働者とその家族の幸せのため,「働く」意味を考えた議論と行動をお願いしたいものです。