「最近」の日本史

最近テレビでも雑誌でもよく日本史が取り上げられます。ドイツの鉄血宰相ビスマルクは,「賢者は歴史に学び,愚者は経験に学ぶ」と言われたそうですので,その意味でも歴史は大切なのでしょう。「人間はどうしようもない愚かな生き物で,失敗ばかりを繰り返している。積み重ねた歴史を学んではじめて,現在の私たちは立派な時代をつくることができる。」と喝破する人もいます。ただ,最近取り上げられる「日本史」はどうも「昔と今」があるようで,本当に驚きます。

例を3つ。初めは「聖徳太子」。一定程度の年齢の方なら,かつて紙幣の肖像画として有名で,歴史的には冠位12階や17条憲法,遣隋使などを覚えておられると思います。ところが聖徳太子は死後の呼び名で,実は「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」という名前で,蘇我馬子とともに共同で推古朝を執政したのだそうです。

次は,鎌倉幕府。1192いいくに作ろう鎌倉幕府。とおぼえた方がほとんどでしょう。これも実は違うのだそうで,1192年は源頼朝が征夷大将軍に任じられた年であって,頼朝が全国支配を確立した1185年とする説が有力なのだそうです。ただごく最近はこの説も違うということで,大体85から92年の間ではっきりとはわかりません。

3つ目が「士農工商」江戸時代の身分制度で,商人は儲けていたので実際は商士農工などと解釈したりする人もいます。しかし,実は士農工商という身分制度などもともとなく,分けるとすれば,武士と百姓・町人というのが正解なのだそうです。百姓と町人の違いは,村に住んでいれば百姓,町に住んでいれば町人ということで,百姓が農民ということでもなく,漁業や林業などもあったのでそれらも百姓に含まれるわけです。士農工商とは,儒学者が中国の古典をもとにつけた単なる序列ということのようです。

これだけでも驚きです。間違った歴史を学んでも間違いを起こすだけかもしれません。そのとき当事者が何を考えどう行動に移したのか,そうしたことを学んでこそ歴史のだいご味があるというものでしょう。年号を覚えるのが歴史の勉強ではないのです。